うさぎの夏2014 その5

うさぎ

2014年08月31日 14:57



↑これは私をここまで大きくしてくれた(笑)ちらし寿司です。

毎年、おせち料理を作って下さるお店のちらし寿司です。

父の50年来の友人でもあり、今は我が家の隣人でもあります。

私が幼いころから中学生を卒業するまでの間、月に一度、父のお給料日には、このちらし寿司が届いていました。
母と私にはちらし寿司で、おばあちゃんには盛り合わせです。
冬には、茶わん蒸しも届いたりしました。
本当に月に一度のお楽しみでした。

こちらのお店が8月24日を以ってお店をたたまれました。
父とは開店当時からのお付き合いなので、お店の歴史も50年になります。

8月23日と24日は、昔なじみのかたや常連さん、懐かしいかたもお見えになってお別れ会のような賑やかな2日間でした。

23日にご挨拶を兼ねてささやかな贈り物をお持ちしたとき、久しぶりにちらし寿司をいただきました。

食べているうちにいろんなことを思い出して、つい涙がぼろぼろとこぼれてしまいました。

お母さんがいて、おばあちゃんがいて、私がいて、このちらし寿司を食べていたころに戻りたいなぁ・・・と。
父はお酒を飲んでは失敗ばかりしていたけれど(笑)みんながそろっていたあの頃に戻りたいなぁ・・・と。
つくづく思いました。

泣きながらちらし寿司を食べる私を父は笑って見ていましたが「月に一度のごちそうやってん。」と言うのが精いっぱいでした。

もうひとつ、お話ししておきたいことがあります。

父の知り合いでもあり、私の先輩でもあるNさんが8月5日、56歳で亡くなりました。

奥さんのお話しでは、8月3日のお昼前「なんかしんどいわぁ」と言いながらシャワーを浴びたそうです。
お風呂から出てきて「やっぱりしんどいわ。」と座り込んでしまったそうです。
「ちょっと横になるわ。」と言って休んでいたそうですが、しばらくして「おかしいわ。なんか。救急車呼んでくれ。」と言われたそうです。
救急車のなかで救急隊員のかたが手足を動かせたり、名前を言わせたりしていたそうですが、Nさんは自分で「手とか足とちゃう!頭や!頭!」と自分で言ったそうです。

そのあと、痙攣が起こり意識がなくなりました。

意識が戻ることなく8月5日に亡くなりました。


若いころは、このあたりでも有名なワルでしたが、大人になってお父様の会社を継ぐようになってからは、本当に良く働き、良く勉強されていました。

どこで会っても、どこで私を見つけても、車の窓をフルオープンにして大きな声で「〇ょ~こ~!」と呼んでくれました。

クラクションを鳴らすと周りの人を驚かせるし、誰を呼んでるのかわからないから・・・との気遣いだったそうですが、その大きな声で呼ばれるのは、とても恥ずかしいことでした(笑)

以前、勤めていた会計事務所を辞めなければいけなくなったとき、私の友人が経営する居酒屋で偶然に会ったことがあります。
私の友人からある程度の話しは聞いていたのでしょうが「〇子、お前、いじめられて辞める若いヤツ、守るために上に盾ついたんやてなぁ。お前、親父に似て、ええ性格しとんなぁ。女にしとくのもったいないで。」と言ってくれたことがあります。
「全然、そんなんちゃうで!そんなカッコええ話しとちゃうで!」と言ってるのに「いや、お前はそんなヤツや。親父に似とんねん。」と言って笑っていました。
ええ。私よりも父との付き合いのほうが長かったので、父のことも良く知っていました。

私のことよりも父のことを誉めてもらったみたいで、自分の退職勧告のことなど飛んでいくほどうれしかったことを覚えています。

ほかにもたくさん思い出はありますが・・・。

そのひとが、もう今はいません。


明るくて、楽しくて、厳しくて、お金もあって、見栄えもよくて、女性にモテるかたでした。
美しい奥様がいるのに、新地の女のひとに子どもを作って認知して・・・。
奥様との間の子どもさんは、みなさん、立派に独立なさって、お孫さんもいらっしゃいます。

豪快な人生だったと思います。

亡くなったときのお顔は笑っていたんですよ。

「いつもひとりで勝手に好きなことしてるひとやったから、ひとりで勝手に死んでしまったわ。でも、本人が一番、死んだと思ってないかもなぁ。」と奥様がおっしゃっていました。


毎年のように異常気象と言われ、今年も各地で豪雨による被害があり、多くのかたが亡くなったり、不自由な避難生活を強いられています。
人間を助ける立場の盲導犬が人間に傷つけられたり、腑に落ちないな事件も多いです。


今年の夏は、私にとって、つらくて寂しくて悲しい夏でした。

夏が終わるまでに書いておきたかったので、今日、書いておきます。

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