祥月命日。

うさぎ

2013年10月01日 00:40



写真とタイトルが合っていないような気がしますが・・・(笑)

ちなみに我が家は浄土真宗本願寺派です。



母が亡くなって19年が経ちました。

亡くなった日のことは今でも鮮明に思い出すことができるので19年もの月日が流れたとは信じられません。

私は50歳になりました。

母が50歳のころ、私は23歳でした。
働くようになって自分でお給料を稼げることが偉いと思っていたのかもしれません。
一度も社会に出て働いたことがない母のことを「世間知らず」と思っていたところもあったような気がします。
生意気ですね。

でも、当時の私が想像していたよりも世の中は厳しいものでした。
私はなにもわかっていませんでした。

母のように「耐える」こともできず、母のように「ひとにやさしく」もできません。
生涯の伴侶を見つけ、そのひとに尽くすこともできていません。
ひとりっこのくせに両親に孫の顔を見せることさえできていません。

でも、今ならわかることもあります。

父の浮気・・・と言うより女癖の悪さに苦しんでいました。
その女のひとが家に入り浸っていることや、次々に存在したことなどなど・・・思い出しただけでめまいがしそうです。
そんな父の女性問題に悩んでは、いつも台所で泣いていた母の胸の痛みや悩み、少しは理解できるようになりました。

ねぇ、お母さん。
私もおとなになったでしょう?


母の一生を思うと楽しいことなんて、なんにもなくて、つらいこと、いやなことばかりだったような気がしてなりません。
母が「いやなこともいっぱいあったけど、幸せやったよ」
「生意気で、たまに憎たらしかったけど、うさぎを産んでよかったよ」と、どうか思ってくれていますようにと願います。



お母さん、お父さんはね、もう誰にも相手にされなくなったみたいでね。
歳かな?(笑)
お金かな?(笑)

最後の女の人は3年前に亡くなったみたい。

今は毎日、お仏壇のお世話してくれているよ。
私がなんにもできないから「いつもお父さんにしてもらってごめん」って言ったら「これはお父さんの仕事」って言って笑ってるよ。

やっとお母さんのところに戻ってきたんちゃう?
お父さんのこと、もう許してあげてるよね?

ねぇ、まだ、お父さんに会いたい?


私が生きている母の声で最後に聞いた言葉は「お父さんに会いたい」でした。
複雑な家庭の話しをここでは書けませんが、その言葉に母の想いのすべてが込められているように感じます。

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